ある日の夜の出来事

それは2009年4月12日になってから30分が過ぎた頃。
夢の中に居た僕を
横で寝ていた妻が呼ぶ声が聞こえてきた。
最初は「夢か?」と思ったが夢にしては・・・?
そう思い夢から逃げ出すと、やはり妻が僕を呼んでいる。
どうやらきたらしい。
陣痛といわれるアレが。


妻の実家に来ていたので、寝ていると思われるお義母さんに起きてもらい、
車を出してもらって20分。
病院に着く。
すぐに分娩室へと入り、赤ちゃんが生まれ出でてくるのを待つ。


そこからが長い。
断続的に襲ってくる痛みに耐える妻。
それをなす術無く見守るしかない無力な僕。
少しは勇気付けられるか?と思い手を握ってみるも、
「熱い」
と言われ拒否される始末。
「暑いから団扇であおいでもらえると有難い」
と言われたので其の通りに団扇であおぐ
あたかもカリフに仕える従者のごとく団扇であおぎ続ける。
痛みが少し薄れると、まどろむ妻。
しかし痛みという牛頭馬頭もどもによって現実へと引き戻され、
いつ果てるかわからない戦いに身を晒す。
眠気に負けて意識をなくしつつ団扇であおぐ僕。
そんな時間がどれくらい過ぎたのだろうか。
助産婦さんは僕に言う。
「そろそろ出産の準備をしますね」


妻は苦痛に耐えていた。
もれてくる声を隠すことなく、耐えていた。
僕の妻はこんなに小さい人だったろうか?
そう思ってしまうほど妻の姿は小さく見え、
今にもその痛みに負けてしまいそうに見えた。


妻が苦痛に耐え続けた時間は合計で10時間。
11時20分。
その苦行は文字通り一つの結果を産み出した。
誰よりも弱く、誰よりもひ弱で。
しかし誰よりも可能性に満ちた魂がこの世に生まれ出でた。
僕は夫という立場だけではなく父親という立場に置かれる身となった。
わが子が一声あげた声は、自らの生をこの世に知らせる福音か、
僕に父親たる自覚を奮い起こさせる叱咤の声なのか。


産まれ出でたその子を抱く僕の妻は。
10時間の苦行を終えて妻から母になったのか。
おいそれとは触れがたき気品を湛え、
あれほど小さく見えた妻の体はとても大きく見えた。


父になった僕。
今後僕はこの子に何かを残してやる事ができるのだろうか?
そんな事は神ならぬ身の僕にはわからない。
でも。
そんな僕だけど。
この子が何かに迷い出口を探し当てる事が出来ない時。
出口へたどり着けるただ一筋の光をさす事が出来れば。
それだけでいい。答えを与える事ができなくても。
その進むべき道を示す事が出来れば。
その頃には父親としての「僕」となる事が出来たと胸を張っていえるのだろう。


苦難に満ちた人生にようこそ。僕の子供よ。

でも安心してくれ。
何があっても
僕らがいることを
忘れないで。